仕事と労働


小川仁志と言う人の哲学の本が面白い。いろんな哲学者のことをかいつまんで教室形式で説明してくれる。適度に「哲学フリーク」な程度の僕にはこれくらいがいい。

その中で「ハンナ・アレント」と言うの哲学が紹介されていた。

仕事と労働

明確に分けられて

労働(Labor)→自然性=生きるために必要なもの→消費されるだけ
仕事(Work)→非自然性=工作物→使用される

つまりお金がなくなったから働くとか、遊ぶために働くとかそういったものは労働になる。僕はマイナスから0に戻すことかと解釈。
ないものを作ったり、必要とされるものを作ったりするのが仕事。これは0の上に積み重ねてくことかと解釈。

「働くこと」を別に「仕事と労働」って明確に分けなくても誰も困らないけど、いろんな意味で話が会わない。例えば「日曜日も仕事ですか?大変ですね。」って決まり文句のように言われても「はい」とはいえない。「日曜日も労働ですか?」って聞かれたら、「いいえ、仕事ですよ」。言葉を明確に分けるならこうだろうな。理屈っぽいだけか(笑)

仕事と遊び

これが一致している人は仕事がとても充実している。逆説的に労働にも遊びの要素を見いだせれば仕事になり得るかもと言うことも言える。いやいや働くより自発的に何かを作り出せれば労働も仕事として充実する。

ただこれもいいことばかりではない。仕事と遊びが同じだと「やりすぎる」。結果、家庭を顧みないとか過労とか気がついたら仕事で身を滅ぼす。

逃避して凱旋

余暇を取るのが日本人は苦手。「休み=さぼり」と判断されるから。たしかに休みづらい。それは仕事でも労働でも同じ。でも休みは逃走ではなく逃避と考える。
逃走と逃避の違いは「凱旋」するかどうか。
仕事を忘れ良い感じに遊びに逃避して、リフレッシュして凱旋すればいい。

人生の1/3は働いている。1/3というのはどれくらいの割合だろう。
1/3である仕事が何も価値を見いだせない追われるだけの「労働」であればそれは勿体無い人生。逆に2/3は好きな事ができるからそれはそれで我慢して過ごす。割りと後者もポジティブではある。

仕事でも労働でも「考えて働く」と言うことは大事なんじゃないかって思いました。